恋は盲目、「エクボもアバタ」〜比較文化論の危険性〜


 

国際比較文化論や比較エッセイというものは、昔から多くの読者の関心を惹いてきた分野である。しかし時として外国のライフスタイルを礼賛するあまり、自国の文化を必要以上に卑下してしまう傾向があるのは残念なことだ。

先日も日英比較文化エッセイの第一人者であるDr Forestのこんな繰り言を目にした。「イギリスのスーパーと違って、日本のスーパーマーケットはスーパーとしての資質が備わっていないから、日本の主婦はチマチマと毎日のように足を運ばなければならないので非効率的で怪しからん!だから日本は・・・」云々。

なぜ日本の主婦はチマチマ買い物をするのか?彼の分析に依れば、
「日本では買い物の後ショッピング・カートをそのまま駐車場まで持ち出すことを許されないし、駐車場のないスーパーも少なくないので、イギリス人のように週1〜2回車で乗り付けて大量に買い物をする合理的なライフスタイルが不可能」とのこと。

「へぇぇぇぇっ、武蔵小金井ってそうなんだぁ!」驚きとともに私は彼の生活環境に同情を禁じ得なかった。(*30年来東京都小金井市にお住まい)
よろしいか、文筆家として正確を期すなら「日本のスーパーでは」という部分を「小金井市のスーパーでは」という風に書き換えなければなるまい。なぜなら高松のスーパーは駐車場は完備、当然カートも駐車場まで持ち込んで大量の買い物を楽々車に積み込むことができるからだ。

shoppin_cart置き場たとえば某地方都市にあるスーパーを中心としたショッピングセンターの駐車場は3,400台収容可能、しかも何時間停めても無料。大小の規模にかかわらずほとんどのスーパーは駐車場内に持ち出したカートを置くスペースがあり、トイレットペーパーや牛乳パックを何本も大型カートに溢れんばかりに詰め込んだ奥さま方が自分の車を目指してガラガラ押している風景はごくごく一般的。 あなたの街のスーパーでもこの右の写真のように、駐車場にカート置き場があるのを見たことがないだろうか。

地代の安い地方都市と<東京都>小金井市を比べるのは不公平かもしれない。 しかしながら、人口300万の大都市・横浜にも、私の知っている範囲で八百屋や魚屋はともかく「駐車場のないスーパー」など記憶にないし、近所にあった地元資本の中規模スーパーでも駐車場までカートを押していっても咎められたことはなかった。寡聞にして私は小金井市には一度も行ったことはないが、少なくとも横浜より地代が極端に高いということはなかろう。

普段スーパーを利用しない方のために補足させて頂ければ、日本の主婦がまとめ買いをせずにチマチマと買い物に出るのは、まず「日替わり特売商品」目当てだと考えて良かろう。まとめ買いをする能力がないというよりも、「本日の特売!」というチラシの文句に、一円でも安く買い物をしたい主婦たちはせっせと足を運ぶのだ。 たとえば平常価格398円のサラダオイルが「本日限り198円!」とチラシに載っていたとしたら・・・?
「日本のスーパーは智恵を絞って集客に工夫をしている」「日本の主婦は家計のために労をいとわず買い物に出る」と、ポジティブに考えられないものだろうか。

ここにふたつの可能性がある:

  1. もし本当に小金井市のスーパーに駐車場がないとしたら
    自分の住んでいる場所の特色が日本のすべてにあてはまると考えてしまうという視野狭窄の愚を冒している。

  2. 実は小金井市のスーパーにも駐車場があるとしたら
    イギリスを恋するあまり、日本にことごとくケチをつけたくなるので、駐車場があっても目に入らなかったのだろう。小金井市の他の住民に対して非常に失礼。すなわち「アバタもエクボ」の反対の「エクボもアバタ」現象

あれほどの人気作家ともなると、自分の身の回りに目をやる余裕もないのだなと同情しないでもない。なにしろ、「”お茶の間”という言葉は死語なので、すでにNHK以外の民放では使われていない。」と本気で信じているほど浮世離れしていらっしゃる方なのだ。 TVやWebと違って「書籍」というより信頼を集めるメディアで流布される情報も、必ずしも真実ばかりとは限らないと教えてくれるよい見本として、ある意味では貴重な存在かもしれない。

海外旅行のお土産話や、海外ニュースを題材におしゃべりすることも含めて「比較文化」は、我々一般人にとっても非常に身近な話題だ。でも「人の振り見て我が振り直せ」。この本の著者のように不必要に片方の文化を貶めていないか冷静に考えてみなければと、自戒の念を込めて彼の作品を読んでいる今日この頃。


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