Cinema ロケ地別INDEX 俳優 A to Z 女優 A to Z Home

Cambridge Spies (2003)

〜ケンブリッジのスパイたち・・・フィルビー、バージェス、ブラント、マクレーン〜

Story Check & 解説 主な実在の登場人物 年表
ロケ地 キャスト 参考資料とリンク  

 

Fact Files

年表 キム・フィルビー ガイ・バージェス ドナルド・マクレーン アントニー・ブラント
ジュリアン・ベル ジョン・ケアンクロス クラウス・フックス ジェームズ・アングルトン
ハリファクス卿 ガイ・リデル 王室の人々  
       

4人の"ケンブリッジ・スパイ"たち

キム・フィルビー / Harold Adrian Russell (Kim) Philby (1912 - 1988)

父は有名な外交官にしてアラビアの権威St John Philby。 キムは父の赴任中にインドで赴任中に生まれた。Kimというのは、ラドヤード・キプリングの小説からとられたニックネーム。

パブリックスクール ウェストミンスター校からケンブリッジのトリニティ・コレッジに進学。卒業後はウィーンに渡り共産党のために活動。家主の娘でオーストリア共産党員のLitzi Friedmanと結婚してイギリスに戻る。 ソビエトのダブル・エージェントとなったフィルビーは、逆に共産党と関わった過去を隠すために右翼的な活動に積極的に参加(妻のLitzi と別れたのも、コミュニストだった過去を葬るため)。

スペイン戦争が勃発すると、最初はフリーランスとして、後にタイムズ紙の特派員として、フランコ側に立った取材活動をする。1938年3月28日にフランコ将軍自らフィルビーの胸に赤十字軍功章をつけてもらう。1939年にガイ・バージェスの推薦によってMI6に入る。対ソビエトチームの指揮を任され、これはバージェスら仲間のダブルスパイたちを保護するのに好都合だった。1945年 ソビエトの外交官ヴォルコフ(Constantin Volkhov)がイスタンブールで英国外務省内に潜む3人のダブルスパイ(バージェスとマクレーンが含まれていたらしい)の名を挙げようと接触してきたが、その情報をいち早く得たフィルビーが手を回し、情報漏えい前にヴォルコフはソビエト側に逮捕された。

ドラマの中で、フィルビーがアルバニアにパラシュート降下するエージェントのリストを漏らしたという台詞がある。当時、西側諸国は極秘ミッションで共産圏の国アルバニアに革命を起こそうと工作しており、多くのエージェントをパラシュート降下させていたが、フィルビーの通報により情報は全てソビエト側に筒抜けで、潜入したエージェントはことごとく暗殺された。

マクレーンとバージェスが逃亡した時にフィルビーも疑われ尋問されたが確たる証拠は出なかった。1951年にMI6は4000ポンドの退職金付きで辞職したが、それでも不定期に情報関係の仕事に携わっていた。1955年にニューヨーク・サンディ・タイムズ紙でフィルビーがスパイである旨の記事が出た2日後に、下院でマーカス・リプトンがフィルビーの疑惑について国会で発言したが、外務大臣ハロルド・マクミランはこれを認めず、リプトンは発言撤回を余儀なくされた。その後中東に活動の場を移したフィルビーはオブザーバー紙・エコノミスト誌の特派員として、またパートタイムでMI6でも働いていた。1961年にソビエトのエージェントAnatoli Golitsinからフィルビーがダブル・スパイであるという証言を得たMI5は、フィルビーのいるベイルートにニコラス・エリオットを派遣し自供させた。1963年1月23日に逃亡しソビエトの亡命、1983年に死亡している。

ドラマの中でも様々な女性とのかかわりが描かれていたが、フィルビーは生涯に4回結婚している。1度目の妻はオーストリア共産党員のLitzi。2番目の妻アイリーンと3番目の妻はフィルビーと出会った時人妻だった。マクレーンからも妻メリンダを奪ったが、その後メリンダとも別れロシア人女性と4回目の結婚をした。アイリーンとの間には5人の子をもうけている。

自伝_My Silent War_
グレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』、ジョン・ル・カレ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』に登場するスパイは、フィルビーがモデルといわれている。

また、『第四の核』The Fourth Protocol (1987) にもフィルビーが登場する

ガイ・バージェス / Guy Francis de Moncy Burgess (1910 - 1963)

DevonDevonport生まれ。ダートマスの名門士官学校を中退し、名門パブリックスクール:イートン校からケンブリッジのトリニティ・コレッジに進学、在学中に共産主義者となる。1930年代にソビエト側の秘密工作員となり、以後東側に情報を流しつづける。BBCに勤務(1936-1939)、戦争用プロパガンダを執筆(1939-41)後、再びBBCに戻り英国情報部の一員としても活動する(1941-4)。 その後外務省からワシントンに派遣され、その間フィルビーの家にやっかいになる。1951年にスパイ容疑を受け、同じくスパイ容疑をかけられていたMacleanとともに1956年ロシアに亡命した。1963年 モスクワで死去。
Eton Collage

ジュリアン・ミッチェルの戯曲『アナザー・カントリー』は、ガイ・バージェスがモデル。 後に映画化もされている。

映画『アナザー・カントリー』Another Country(1984) でもソビエトに亡命後も「クリケットが恋しい」とつぶやいていたが、バージェスはソビエトに渡ってからも故郷のイギリスを恋しがりホームシックにかかっていたという。 死ぬまでサヴィル・ロウの仕立て屋に注文して服を送らせていたとか。 このドラマの中にも、サヴィル・ロウの著名なビスポーク、「ターンブル&アッサー」に入る場面が何度も登場する。

また、ドラマの中でバージェスが海軍中佐だった父が母とベッドにいる時に突然死したと語っていたが、これも『アナザー・カントリー』Another Country(1984) でガイが話していたこと。

ドナルド・マクレーン/Donald Duart Maclean (1913 - 1983)

スコットランドの名家の出で、1913年ロンドンに生まれる。 父は自由党閣僚。 Gresham's Schoolからケンブリッジのトリニティ・コレッジに進む。1935年 外務省の入省試験に合格し、3年後 3等書記官としてフランス大使館配属。1944年 ワシントンのイギリス大使館に一等書記官として赴任し、そこで得た原子力関係の重要な情報をソビエトに流す。1948年 カイロの英国大使館に転属するが、飲酒などで不祥事を起こしロンドンに戻り、外務省アメリカ室長となる。1951年5月25日(38歳の誕生日)にケント州の自宅に現れたバージェスと妻と3人で食事をとった後、バージェスとともにサウサンプトンから出国、亡命。 妻のメリンダはマクレーンを追ってソ連に渡ったが、後にフィルビーに心を移す(ドラマの中でもフィルビーとメリンダの親しげな様子が描写されている)。マクレーンはソビエト市民となった後、外務省に入り精力的に活動し、1983年に死亡。

ちなみに、スコットランドにはDuart城というマクレーン一族の居城がある。彼のミドルネームはそんな背景も感じさせる。
Duart Castle

アントニー・ブラント / Anthony Frederick Blunt (1907 - 1983)

9月26日ボーンマスに生まれ、パリに育つ。父はイギリス国教会牧師、母Hilda Masters(旧姓)はエリザベス王妃のいとこで、父はインドに文官として赴任していた名家の出。パブリックスクールMarlborough校からケンブリッジのトリニティ・コレッジに進み、のちにフェローとなる。バージェスと同じくブラントもゲイで、ふたりは一時期恋人同士だった時期もある。第二次大戦が勃発するとブラントはフランスに従軍、1940年のドイツ軍のフランス侵略に伴い帰国、MI5に入る。戦争末期に王室の恥を未然に防ぐため(ウィンザー公とヒトラーとのかかわりを示す手紙の回収と言われている)ドイツに派遣され、その功によってヴィクトリア上級勲爵士章を受ける。MI5を辞した後は国王ジョージ6世の絵画鑑定官となる。ジョージ6世の死後、後を継いだエリザベス二世の下でも仕える。

1964年 ケンブリッジのトリニティで同窓だったアメリカ人 マイケル・ストレイトがブラントにスパイとなるよう勧誘されたと証言。バージェスらが逃亡した1951年の尋問では否認し続けていたブラントだったが、今回は自白せざるを得ず、同時にジョン・ケアンクロスもスパオであることを自白した。自白の後も彼は女王の絵画管理の仕事を続け、同時にコートルード美術館でも教鞭を取っていた。

1979年にAndrew Boyleが著作_The Climate of Treason_でブラントの正体を暴露し、当時の首相マーガレット・サッチャーも公的にブラントを反逆者と発言。 ブラントはナイトの称号を剥奪され、1983年 死亡する。

Alan Bennettの戯曲"A Question of Attribution" はエリザベス王妃とブラントの関係をモデルにしたものといわれている。ちなみにベネットの戯曲"An Englishman Abroad"では、バージェスがモスクワ巡業中のイギリスの女優と会うという場面が描かれている。

 

その他の実在の人々

ジュリアン・ベル / Julian Bell (1908-1937)

文芸評論家クライブ・ベルと画家ヴァネッサ・ベルの息子。作家ヴァージニア・ウルフ(ヴァネッサの妹)は、ジュリアンのおばにあたる。レイトン・パーク校からケンブリッジのキングス・コレッジに進む。スペイン内戦に参加し、1937年に運転していた救急車が爆撃され死亡。

ドラマの中ではバージェスの片思いの相手、そして時にブラントともベッドをともにしている。”おばのヴァージニア(・ウルフ)からもらった靴下”という台詞も。

ジョン・ケアンクロス / John Cairncross(1913-1995)

スコットランドの庶民の家庭に生まれる。ケンブリッジのトリニティ・コレッジに進学し、そこでアントニー・ブラントを始めとする4人に出会う。"ケンブリッジの第5のスパイ"と言われている。1936年外務省に入り、第二次大戦中はブレッチレー・パークに勤務し、解読した暗号をソビエトに渡していた。戦争末期にはMI6に移る。

1951年にバージェスとマクレーンが亡命した折にバージェスのフラットが捜索され、そこでケアンクロスによる書類を発見される。ケアンクロスはバージェスに情報を渡したことは認めたが、彼がスパイだとは知らなかったと主張している。1952年 John Cairncross、正体を暴露されローマに逃亡。

第3話で、"沈黙してしまったスパイ"として登場。ブラントが彼を訪ねにブレッチレー・パークに出向く場面が。

クラウス・フックス / Klaus Fuchs (1911-1988)

ドイツに生まれ、ライプツィヒ大学で数学と物理学を学ぶ。 ドイツ共産党に入党していたが、ナチスが勢力を伸ばしてきた1933年に亡命。スコットランドで研究を続けていた彼は第二次大戦が勃発されると一時抑留、しかしすぐに解放される。1943年にアメリカに渡り、 ロス・アラモス研究所で原爆の開発に携わる。戦後はイギリスに戻り、Harwellの英国核研究センターの部長に。

1945年KGBスパイIgor Gouzenkoが西側に提供した情報により、フックスはMI5にスパイの容疑で尋問される。(この時著名なスパイアラン・ナン・メイも尋問されている)1950年に自白、14年の刑に服す。釈放後は東ドイツに渡り、1988年に死亡。

ドラマの中で、マクレーンと(彼の妻メリンダの写真の半分を符号にして)接触する場面が出てくる。

ガイ・リデル / Guy Maynard Liddell (1892-1958)

第一次大戦前まではプロのチェリストになるためにドイツに留学していた。 大戦が勃発すると砲兵隊に入り活躍する。 1919年にスコットランドヤードに入り、後にスコットランドヤードと外務省の連絡係を勤めるようになり、ロンドンに潜入しているソビエトのスパイを摘発する仕事に携わる。 1927年にはMI5(軍事情報活動第5部、防諜を担当)に入る。

バージェスらと親しかったことから、リデルもダブル・エージェントではないかと疑われる。(また、実際にダブル・エージェントだという説もある。)

ジェームズ・アングルトン/James Jesus Angleton (1917-1987)

アメリカ人。イギリスのパブリックスクールMalvern校で教育を受け、帰国しイエール大学に進む。第二次大戦中の1943年にロンドンに派遣され、MI5でトレーニングを受ける。CIAエージェントとして、アングルトンはイスラエルの情報機関モサドの設立にも助力する。フィルビーに対し早い段階から疑惑を持ち、中東でもフィルビーを監視させていた。フィルビーの正体を暴露したAnatoli Golitsinの尋問に当たったのもアングルトン。

ドラマの中でも度々登場。

在米英国大使 ハリファクス卿 / Edward Wood, Lord Halifax (1881-1959)

第二代ハリファクス子爵の4子としてイングランド南西部DevonのPowderham Castleに生まれる。生まれつき左腕が不自由で、3人の兄が夭折してしまったため、ヨークシャーの広大な領地と子爵の称号を受け継ぐ。イートン校からオックスフォードのクライスト・チャーチに進む。1910年にはRipon選挙区から下院議員となり、保守党政権下の内閣で教育相、農相を勤める。1937年には首相の命によりドイツに赴き、ヒトラーやゲッペルスとも会見している。チェンバレンからチャーチルに政権が移ってもハリファックス卿は外交大臣として尽力した。1940年12月に長年のライバルであったアントニー・エデンに外相の座を譲り、代わりに英国大使として米国に赴任する(1940-1946)。

 

英国王室

アントニー・ブラントの母はジョージ6世の妃エリザベスとはいとこ同士の関係にある。その関係もあってブラントは徐々に王室と親しくなり、ケンジントン宮殿や、ウィンザー城、バッキンガム宮殿に招かれている。 また、彼の誕生日にクイーン・メアリー(当時の皇太后)から贈り物が届くエピソードも。


Buckingham Palace

Windsor Castle

ドラマの中でも、王妃エリザベスが普通の人のようにイーストエンドを訪問する予定があること、そしてこれも彼女のアイデアだと言及されていた、実際に彼女は戦争中に大空襲を受けたイーストエンドを訪問し、民衆を激励したという有名なエピソードがある。

第4話でバッキンガム宮殿を訪れたブラントは、クイーン・マザー、エリザベス2世と赤ちゃんのチャールズ皇太子、妹のマーガレット王女(1930-2002)と言葉を交わす。 クイーン・マザーはマーガレット王女の問題についてブラントに打ち明けるが、実際マーガレット王女は既婚男性ピーター・タウンゼント(空軍パイロット)との恋を含めて数々のスキャンダルを起こしたことでも有名。マーガレット王女はイアン・マッケラン主演の映画『ゴッド&モンスター』やモンティ・パイソンにも登場する。

ウィンザー公(エドワード八世, 1894-1972)

父はジョージ5世、母は王妃メアリー・オブ・テック。 1910年に父ジョージ五世の即位に伴い、プリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)となる。ダートマスの士官学校で教育を受け、第一次大戦にも従軍する。 女性関係の華やかさでも有名だったが、1931年にアメリカ人で離婚歴がある人妻女性 シンプソン夫人と出会い、恋に落ちる。1936年に父ジョージ五世が崩御した後をうけて、エドワード八世として41歳で即位。 議会や教会を含めて世論は"離婚歴のある人妻"が英国王妃となることに猛烈に反発し、王位を取るかシンプソン夫人を取るかの選択を迫られたエドワード八世は1936年12月に退位し、ウィンザー公となる。 王位は弟のヨーク公が継いだ(ジョージ六世)。

退位後は離婚が成立したウォレス・シンプソンと結婚。 しかし、彼の子孫には英国王位継承権は認められておらず、イギリスと国民を捨てた王として、英国王室とは断絶状態となる。 ウィンザー公は皇太子時代からヒトラーやムッソリーニに対して友好的で、1937年10月にはヒトラーの招待でドイツを訪れている。対戦中はバハマ総督に任命されるが、それもファシスト政権と組んで暗躍しないよう距離を置かせるためだったと言われている。 ドラマの中で彼がヒトラーと親しくしていることの証拠となる手紙を「王室の恥」として取り戻すために、ブラントが派遣されている。

ジョージ六世(1895-1952、在位1936-1952)
エリザベス、クイーン・マザー

1923年に伯爵家の令嬢エリザベス(Lady Elizabeth Angela Marguerite Bowes-Lyon, 1900-2002)と結婚。1926年には第一子エリザベス(後のエリザベス二世)、1930年に第二子マーガレットが誕生する。

国王夫妻は第二次大戦中も疎開せずロンドンに留まり、エリザベス王妃が爆撃されたイーストエンドの人々を激励したエピソードは有名。ヒトラーも彼女のことを「ヨーロッパでもっとも危険な女性」と呼んだほど。1952年にジョージ六世が崩御すると、長女がエリザベス二世として即位。母エリザベスは「クイーン・マザー」の愛称で呼ばれ、国民に広く親しまれていた。

 

年表

その他の人々・世界史 キム・フィルビー
Harold Adrian Russell (Kim) Philby (1912 - 1988)
ガイ・バージェス
Guy Francis De Moncy Burgess (1911 - 1963)
ドナルド・マクレーン
Donald Duart Maclean (1913 - 1983)
アントニー・ブラント
Anthony Blunt (1907 - 1983)
1928年 ジュリアン・ベル使徒会に入る

1929年 ウォール街で大暴落(世界恐慌の始まり)

1929年 ケンブリッジ大学 トリニティ・コレッジに入る(歴史・経済学)     1926年 ケンブリッジ大学 トリニティ・コレッジに入る

1927年 使徒会に入る

イギリス経済危機

1931年 (イギリス)労働党政権破れる

1931年 (スペイン)国王アルフォンソ13世が倒され、共和制が始まる

1934年 ウィーンへ 1930年 ケンブリッジ大学 トリニティ・コレッジに入る(歴史学)、のち使徒会に入る

1934年 モスクワ旅行

1931年 ケンブリッジ大学に入る(フランス語) 1932年 ケンブリッジのフェローとなる

John Cairncrossを共産党に引き入れる

1934年 KGBスパイとなる

1936年 父王ジョージ5世崩御にともない、エドワード8世即位するが、シンプソン夫人との「王冠を賭けた恋」により退位。ウィンザー公となる。
弟ジョージ6世即位。妃はエリザベス(2002年に崩御した記憶も新しいあの"クイーンマザー")

1936年(スペイン)人民戦線が選挙で勝利し内閣を組織したのに対し、ファシストのフランコ将軍が反乱を起こす。1939年 マドリッド陥落、フランコ側の勝利に終わる
(1937年 スペイン北部ゲルニカで一般市民に対する空爆が行われる。同年ジュリアン・ベル死亡)

1936-8年 (ソビエト)スターリン血の粛清
オットー、38年にソビエトに召還される

1939-1945 第二次世界大戦

1939年8月 独ソ不可侵条約

1936年 右翼的な英独友好会の会合に出席

1937年 2月 スペイン内戦の取材で現地へ

1938年3月28日フランコ将軍に、赤十字軍功章をつけてもらう

1939年 イギリス帰国
BBC ラジオに出演、バージェスにインタビューされる

保守党下院議員ジャック・マクナマラの個人秘書になる

1936-1939 BBCに勤務。
「The Week in Westminster」とういう政治番組を担当し、チャーチルを始めとする政界の大物ともコネクションを持つように。

1939年1月 情報部(SIS)常勤となる

1935年 外務省の入省試験に合格

1938年 3等書記官としてフランス大使館配属

1939年 ソビエト側の情報員Walter Krivitskyが、イギリスに潜入している61人のジェージェントがいると告げる。 名は特定できないが"背の高い金髪の名家出身のスコットランド人"(マクレーンのこと)とがいると。

1939年 コートルー度美術研究所の副所長となる

1939年軍隊に志願し、フランスに渡る

軍情報部に志願したがマルキストの過去のため拒絶される

MI5に入る

1940年6月19日 ドイツ軍侵攻によりパリ陥落

1941年 2月10日 Walter KrivitskyがワシントンのBellevue Hotelで遺体となって発見される

1941年 独ソ戦開始

ブレッチレーパークにてエニグマの暗号解読

1940年 8月 バージェスの紹介でMI6に入る 1944年 外務省の報道部に入る 1940年 ドイツ軍がパリに侵攻して来た時に、アメリカ人女性Melinda Marlingと結婚し帰国

1944年 ワシントンのイギリス大使館に一等書記官として赴任

 
1949年10月 (ソビエト)最初の原爆実験を確認(実験は9月) 1944年 英国情報部で、対ソビエトチームの指揮をする

1945年 ヴォルコフ(Volkov)事件

1949年 ワシントンに赴任し、英国情報部と米CIAの連絡担当官を務める

1949年アルバニアに潜入する工作員のリストを流す

1946年外相代理のHector McNeilの書記兼秘書となる 1947年2月 イギリス、アメリカ、カナダ3カ国の原子爆弾合同政策委員会の書記となる

原子力委員会に出入りするように

1948年 カイロの英国大使館に転属

外務省アメリカ室長となる

コードネーム"Homer"の容疑者4人のうちの一人にマクレーンの名が挙がる

1946年 ドイツに派遣され、王室の恥を未然に防ぐ。ヴィクトリア上級勲爵士章を受ける

MI5を辞し、国王ジョージ6世の絵画鑑定官となる

1950年 クラウス・フックス自白

1952年エリザベス2世即位

1952年 John Cairncross、正体を暴露されローマに逃亡

1953年 (ソビエト)スターリン死亡

1951年6月 疑惑の質疑のためロンドンに召還される
外務省を退職

1952年6月 MI5により秘密裁判が行われる

1950年 一等書記官となりワシントンへ

ワシントンではフィルビーの食客となる

1951年 5月 外相ハーバート・モリソン、マクレーン尋問を許可

1951年5月25日(38歳の誕生日)にバージェスとともにサウサンプトンから出国

 
  1955年バージェス、マクレーン失踪に関する白書が提出される

下院でフィルビーの名が出る

  1956年 ソビエトのパレードに出ているところを目撃される 1956年 ナイトに叙される
  1963年1月23日 姿を消す

6ヵ月後、ソビエトで所在が確認される

ホームシックにかかり、1963年 死亡   1964年女王陛下肖像画鑑定官となる

1964年裏切りを告白

1979年 5月 マーガレット・サッチャー 英国初の女性首相に       1979年 アンドリュー・ボイルがブラントのスパイ行為を暴く本を出版

1979年11月 サッチャー首相、公的にブラントを反逆者と発言、ナイトの称号を剥奪される

  1988年死亡   1983年 心臓発作により死亡 1983年 死亡

 


Cinema ロケ地別INDEX 俳優 A to Z 女優 A to Z Home

Copyright (c)2003 Cheeky All Rights Reserved
当サイトに掲載されている情報・記事・画像など、全ての内容の無断転載を禁止します。
引用される際は、必ず出典として当サイト名とURLを明示してください。