ベルファストへはダブリンからバスで入った。所用時間およそ3時間。ちなみにベルファストはあのタイタニック号が製造された都市としても有名である。ベルファストに入ると途端に郵便局の看板が赤くなり(共和国では緑)、店などもMARKS & SPENSERなど英国でお馴染みのものが多くなり、何と言っても町中いたるところにユニオン・ジャックが高々と掲げられ、ここが英国領であることを思い知らされる。その差は共和国から入って来た者ならば一目瞭然で、これはちょっとしたカルチャー・ショックだった。
ベルファストのバス・ステーションには爆弾テロ防止のために、コインロッカーがない。しかし、街自体は非常に治安がよく、整然としたその作りはロンドンよりもはるかに清潔と言えるかもしれない。シティ・ホール以外特に見るべき観光名所はないが、南と北との差をこれほど実感させられる都市もなく、そういう点では一見の価値があると言えるのではないだろうか。バス・ステーションはダブリンやロンドンより遥かに近代的で清潔、ショッピング・モールや高級ホテルEUROPEに繋がっている。兵士の姿も見当たらず、装甲車も2回しか見なかったが、おそらく10年前に来たのならもっと印象が違っただろう。
カソリック地区を回るタクシー・ツァーについてはアイルランドのMLで教えてもらい、その存在を知った。ラッキーにも滞在しているホテルにこのチラシが置いてあったが、小さいチラシなのでほとんどの人が見逃してしまうかもしれない。ベルファスト滞在の人でも知らないと言っていた位だ。観光案内所に行ってこのツァーについて尋ねると、丁度ここから出ているというのでツァー開始時間まで少し街をウロウロ。共和国ではあれほど目にしたアイルランド系雑貨の土産物は姿を消し、1軒だけ申し訳程度にアイリッシュ・リネンの店があるくらいだ。タクシー・ツァーは最小催行人員3人で一人7£。約1時間半ほどでカソリック地区とその他の地域を回るツァーだ。Shankill RoadとFalls Roadがカソリック地区に当るわけだが、観光案内所から車で5分も走れば着いてしまうほど、繁華街に近いというのに、カソリック地区に入るなり雑然とした雰囲気になり、清潔な繁華街との差をまざまざと見せつけられる。ただ、ガイドブックには触らぬ神に祟りなしと書かれていたが、いかにも観光客然としたお上りさん丸出しの格好ならばともかく、バスで入って普通に歩いている分には特に問題はないと思う。しかし、これもやはり和平の賜物であってやはり10年前はもっと物騒な感じだったそうだ。
至るところで、IRAの宣伝としか思えない壁絵を目にするが、そこの住人は自分達の住む家の壁にこういう絵が描かれていて平気なのだろうかという素朴な疑問が湧いてくる。私なら賃貸であっても絶対嫌だ。テロ集団と言われているIRAだが、彼らに言わせると数百年もの迫害の歴史の中でほんの短い期間抵抗しているに過ぎないという。言い分はわかるが、私はやはりテロを憎む。その後、平和の壁へ。「平和の壁」とは随分聞こえがいいが、要するにベルリンの壁のようにプロテスタントとカソリックを隔てたもので、プロテスタントはあくまで自分達は「英国人」だと主張。一方、カソリック系住民はここはアイルランドの土地なのだから、共和国に戻すべきと訴える。双方の意識の違いが悲劇を引き起こしている。
壁絵の中には80年代ボビー・サンズなどハンガー・ストライキで命を落したIRAの闘士の壁絵が誇らしげにその姿を見せている。これもやはりカソリック地区ならではだろう。街のあちこちに共和国やIRAの旗が掲げられ、彼らはやはり統一を願ってやまないのだと思い知らされ、胸が痛んだ。IRAの政治組織シン・フェイン党の本部の前も通ったが、さすがにその前では降ろしてくれなかったが、何やら党の記念グッズまで売っていたようだ。
翌日、私はフライトでベルファストからマンチェスターに向かった。通常X線の検査を受けるのは搭乗する人物だけだが、ここでは空港に入る前から厳重な手荷物検査があったので驚いてしまった。やはりテロを警戒してのことだろう。しかし、空港には同胞であるカソリックも他の国の人間も大勢いる。彼らを巻き添えにしでもすれば、誰もIRAを支持しないだろう。U2は無関係な者の命まで奪ってしまうテロをあからさまに非難し、一時暗殺リストのトップに載っていたことがある。
(erinさん・2000/8/18)