Ireland


(アイルランド共和国)

■ダブリンと首都圏
ダブリン・・・リフィー川・・・トリニティ・コレッジ・・・キルメイナム刑務所
■東南部海岸地域(ウィックロウ周辺・Leinster地方)
■西部(Connaught地方)
アラン島
■南西部(Munster地方)
ディングル半島
■北西部山岳地帯
■北部内陸地方&湖水地方
■東部

(北アイルランド)ベルファスト


Eire - Republic of Ireland

■ダブリンと首都圏

ダブリン
 
ロケ地訪問特集:『リタと大学教授』 のダブリンを訪ねて
◆『ザ・コミットメンツ』

ダブリンでソウルバンドを結成する若者のお話ですが、アイリッシュはヨーロッパの黒人だというセリフにびっくり、どっきり。

私がダブリンを訪れたのはちょうど映画が日本で公開されていた、1991年の年末。映画でダブリン予習をした私はあのように子供がチャリで走り回っているなら、それを避ける練習が必須かも?なんて思っていました。

映画はどのあたりで撮ったのかわかりませんが、ダブリンZooに行くバスの中から主人公が住んでいたフラットの長屋にそっくりな風景を眺められましたし、みんなが乗り込んで歌っていた電車にも乗りました。空いていた。リフィー川にかかる鉄橋も同じ(あたりまえ)で感激。映画の風景の中に自分がいる事をはじめて実感した旅でした。

Wemblyさん・6/13

 
The Liffey, Dublin (ダブリン、リフィー川)
 
Michael Collins

DublinといえばJames Joyceの世界。町全体がJoyceの小説の舞台です。その街の中心を流れるLiffey川もそのひとつ。この川の北岸にあるFour Courts(裁判所)は”Michael Collins”でアイルランド内戦時に激しい砲撃を受けました。

また、O'Connell Bridgeの西側にある歩行者用の橋”Half Penny Bridge”は、Michael Collinsが警察に潜入して調べものをして、朝帰りをするシーンで自転車で渡る橋です。(たぶん?)

この橋を渡って南岸へ行くと、そこは若者の街”Temple Bar”への入り口。赤、青、黄色やオレンジなどカラフルに塗られたIrish Pubsが並んでいます。イギリスでもアイルランドでもそこの文化を知るにはやはりPubです。ビールはあまり飲めない私ですが、Pubの雰囲気を味わいながら、仲間とのChatでいつも時間を経つのを忘れてしまいます。(Half Pintで2時間なんていやな客かしら?)私にとってIrish PubIrish Musicを聞きながら、Guinnessを飲む時が一番至福を感じる時かも。

(Eikoさん・10/25)

 

 
Trinity College, Dublin
『サークル・オブ・フレンズ』 Circle of Friends (1995)
『リタと大学教授』 Educating Rita (1983)
Circle of Friends

Dublinの街を歩いていると、若者の多さに驚きます。そういえば人口の50%が28歳以下ということを昔何かで読んだことがあります。特にLiffey川の南、Temple BarGrafton Street, St.Stephen's Greenなんて若者がうようよ。あちこちで思い思いのストリートパフォーマンスをやっています。

そのLiffey川の南に”Trinity College”があります。ここは”Circle of Friends”で、入学式の日、BettyEveが幼なじみのNannと再会する大学です。大学のシンボルでもあるCampanileという鐘楼が出てきます。ここの図書館は長さ64メートルに20万冊の蔵書が並べられ、壮大な眺めです。図書館の入り口にはShopもあり、College Goodsも買えます。

(Eikoさん・10/25)

 
キルメイナム刑務所 (Kilmainham Gaol, Dublin)
『父の祈りを』In the name of father (1993)
『ミニミニ大作戦』The Italian Job(1969)

他、U2Sinead O'Connorのビデオ・クリップにも登場
www.kilmainham-gaol.com

「父の祈りを」「RAT」
キルメイナム刑務所とダブリン市内について

実は「父の祈りを」はまだ見ていないんですが、刑務所は見学してきました。11月に行ったせいもあってか、めちゃくちゃ寒かったです。そして狭くって暗くて、処刑場は未だにその当時のまま寒々としています。こういう場所に子供も入れられていたかと思うと、なんか哀しいアイルランドの歴史を感じました。ダブリンから市バスですぐの場所ですが、とっても郊外に来たような雰囲気です。説明してくれたお兄さんによると、「ミニミニ大作戦」のロケにも使われたとかなんとか。(私の英語力も怪しいものですが)是非今度チェックしようと思います。

「RAT」はピートポスルスウェイトが何故かネズミになってしまう映画なのですが、ダブリン市民が主人公のコメディです。時代が近過去に設定されているので、(たぶん)街の雰囲気は今のダブリンとはややちがうようです。私はダブリンに5ヶ月滞在したんですが、街はネズミがちょろちょろ走っててもおかしくないくらい、結構実は汚いです。ゴミだらけ・・・。
ちなみに、ベルファストは中心街(ショッピング街)がめちゃめちゃ混んでてすごかったです。そしてまたもやゴミだらけ。そのくせ中心街をちょっとでも離れると閑散としてて凄い不思議な街でした。

主人公一家のすんでいる地域は、ダブリンの中心から市バスで20分くらいのキメッジ地区だそうで、このあたりは住宅街とちょっとした商店街、そしてゴルフコースに囲まれています。この映画、まだ日本では公開されてないようなのですが、かなりシュールで面白いですよ。

ダブリンをちょっとでも出ると、「殺人天使」や「ブッチャーボーイ」といったニール・ジョーダン作品に出てくる景色が目の前に広がり、ジョーダン好きとしては感動的でした。帰国してからまだそれらの映画を見返してないので、一度ゆっくりアイルランド映画を見直したいと思います。

(ふずきさんWeb2001/7/3)

 

 

■東南部海岸地域(ウィックロウ周辺・Leinster地方)

 

■西部(Connaught地方)

アラン島
『恋はワンダフル!?』The MatchMaker (1997) ・・・イニシュモア。ドゥン・エンガスの絶壁が。
『アラン』
◆『アラン』

1934年のイギリス映画です。映画は大分前に観たものではっきり覚えていないのですが、島民に演じさせたセミ・ドキュメンタリーといったところでしょうか。厳しい自然の中で必死に生きる島民の姿が印象的でした。

さすがにここまで来るとかなり最果て感を感じさせられますね。11月ということもあり、大変寒く、風がきつかったのを覚えています。波も荒く、アラン行きの小さい船は大変揺れ、しっかり酔ってしまいました。アラン島は、ほとんど岩石で出来た島で、その岩を砕いて砂にして畑を作らねばならない程過酷な環境で、強い風にその砂を吹き飛ばされないように石積の塀で仕切ってあるんですよね。島民の方はほとんどが中年以上で、若い人はやはり本島に行ってしまうんでしょうね。しかし、島は若い旅行者でにぎわっています。今はほとんど観光業で生計を立てているといった印象を受けました。この島の古代アイルランドの遺跡ドゥン・エンガスがありますが、この上からの絶壁の眺めは壮観でした。また、気候の良い時にでももう一度訪れたいものです。

erinさん・4/23

 
 

 

■南西部(Munster地方)

Dingle peninsula
『ライアンの娘』 Ryan's Daughter (1970)
『遥かなる大地へ』Far and Away (1992)
Ryan's Daughter

1992年の夏至をIrelandDunquinで迎えました。それまでポルトガルのロカ岬をヨーロッパの西端だと思っていた私ですが、どうやらそこはユーラシア大陸の西端であって、ここに来て初めて知ったのですが、IrelandDunquinがヨーロッパの西端になるようです。

「ライアンの娘」の舞台を見たくて、DublinからTraleeを経由してDingle半島行きのバスに乗りました。Dingleで小休憩をはさみ、バスは半島を1周します。半島の西端Dunquinが「ライアンの娘」の舞台です。Dunquin YHの前でバスを降り、次のTralee行きのバスを確認すると、なんと4日後。私はここで4泊しなければならなくなったのです。本当に何もない小さな村での4日間が、私の今までの旅行の中でも最も印象に残る4日間になりました。

YHから真正面に大西洋が広がり、映画の中でも海の向こうに見えたBlasket島が眺められます。海岸線は断崖絶壁、風も強く、風土の厳しさが感じられます。次の日は右、その次の日は左、そのまた次の日は東の丘に向かってと、毎日歩いて歩いて、「ライアンの娘」の世界に浸りました。

昼は村に唯一のカフェ"Dun Chaoin Pottery Cafe"でスープを飲んだり、ケーキを食べたり、Irish Coffeeを飲んだりと貧乏旅行の私にはちょっと贅沢をしたりなんかして。ここのカフェには「ライアンの娘」の映画のロケ現場の写真が飾られていました。地元の人の話によると、Dunquin"Far And Away"(「遥かなる大地」)の撮影も行われ、少し前にTom Cruiseが来ていたそうです。

それから6年後、1998年の9月、再びこの地を訪れました。Dingle半島もかなり観光地化されており、KillarneyからDingle半島1周してTralee行きのバスが毎日出ており(夏季)、Dingleで40分ほどの休憩をはさみ、Dingle半島をドライブして、日帰りでKillarneyに戻ることができました。

(Eikoさん・10/19)

 

■北西部山岳地帯

■北部内陸地方&湖水地方

■東部

 


Northan Ireland, UK(北アイルランド)

ベルファスト(北アイルランド)
『ボクサー』The Boxer (1997)
『父の祈りを』In the name of father (1993)
『クライング・ゲーム』The Crying Game(1992)

番外:
『ナッシング・パーソナル』
Nothing Personal
*ベルファストが舞台設定の作品(ロケはダブリン)

クライングゲーム

北アイルランドといえば悲しいかな、宗教紛争の暗いイメージを持ってしまいます。「クライングゲーム」「父の祈りを」「ボクサー」などのIRAの映画もつくられています。

私の北アイルランドへの旅はスコットランドからフェリーで入りました。フェリー乗り場では一応同じイギリス国内なのに厳重な荷物のチャックが行われ(日本人の私は簡単でしたが)、北アイルランドはまだまだ物騒なのだと実感しました。もしやと思っていたのですが、案の定爆弾テロの多いBelfastの街にはコインロッカーや手荷物預かり所というものがなく、(Tourist Informationで確認済み)、私は重い荷物を持って、休みながらBelfastの街を散策しました。City Hallを中心にビクトリア朝の建物が残っており、美しい街なのですが、フレンドリーで明るい南のアイルランドの人々に比べて、Belfastの人々は気難しそうな顔をしており、私に対する視線が強く感じられたのは気のせいでしょうか。

その後”Danny Boy"の故郷London Derryの街へ行きました。ここは城壁に囲まれた歴史ある美しい街なのですが、宗教紛争の悲惨な歴史が感じられました。特に1972年にイギリス軍が13人の住人を射殺したという”Bloody Sunday”事件。後でJohn Lennonが追悼の曲を創りました。今でも花輪に囲まれているこのモニュメントには13人の氏名、年齢が刻まれていますが、ほとんどが10代、20代の若者でした。一日でも早く、平和な日が来ることを祈っています。

(Eikoさん・1999/11/6)

 

ベルファストへはダブリンからバスで入った。所用時間およそ3時間。ちなみにベルファストはあのタイタニック号が製造された都市としても有名である。ベルファストに入ると途端に郵便局の看板が赤くなり(共和国では緑)、店などもMARKS & SPENSERなど英国でお馴染みのものが多くなり、何と言っても町中いたるところにユニオン・ジャックが高々と掲げられ、ここが英国領であることを思い知らされる。その差は共和国から入って来た者ならば一目瞭然で、これはちょっとしたカルチャー・ショックだった。

ベルファストのバス・ステーションには爆弾テロ防止のために、コインロッカーがない。しかし、街自体は非常に治安がよく、整然としたその作りはロンドンよりもはるかに清潔と言えるかもしれない。シティ・ホール以外特に見るべき観光名所はないが、南と北との差をこれほど実感させられる都市もなく、そういう点では一見の価値があると言えるのではないだろうか。バス・ステーションはダブリンやロンドンより遥かに近代的で清潔、ショッピング・モールや高級ホテルEUROPEに繋がっている。兵士の姿も見当たらず、装甲車も2回しか見なかったが、おそらく10年前に来たのならもっと印象が違っただろう。

カソリック地区を回るタクシー・ツァーについてはアイルランドのMLで教えてもらい、その存在を知った。ラッキーにも滞在しているホテルにこのチラシが置いてあったが、小さいチラシなのでほとんどの人が見逃してしまうかもしれない。ベルファスト滞在の人でも知らないと言っていた位だ。観光案内所に行ってこのツァーについて尋ねると、丁度ここから出ているというのでツァー開始時間まで少し街をウロウロ。共和国ではあれほど目にしたアイルランド系雑貨の土産物は姿を消し、1軒だけ申し訳程度にアイリッシュ・リネンの店があるくらいだ。タクシー・ツァーは最小催行人員3人で一人7£。約1時間半ほどでカソリック地区とその他の地域を回るツァーだ。Shankill RoadFalls Roadがカソリック地区に当るわけだが、観光案内所から車で5分も走れば着いてしまうほど、繁華街に近いというのに、カソリック地区に入るなり雑然とした雰囲気になり、清潔な繁華街との差をまざまざと見せつけられる。ただ、ガイドブックには触らぬ神に祟りなしと書かれていたが、いかにも観光客然としたお上りさん丸出しの格好ならばともかく、バスで入って普通に歩いている分には特に問題はないと思う。しかし、これもやはり和平の賜物であってやはり10年前はもっと物騒な感じだったそうだ。

 至るところで、IRAの宣伝としか思えない壁絵を目にするが、そこの住人は自分達の住む家の壁にこういう絵が描かれていて平気なのだろうかという素朴な疑問が湧いてくる。私なら賃貸であっても絶対嫌だ。テロ集団と言われているIRAだが、彼らに言わせると数百年もの迫害の歴史の中でほんの短い期間抵抗しているに過ぎないという。言い分はわかるが、私はやはりテロを憎む。その後、平和の壁へ。「平和の壁」とは随分聞こえがいいが、要するにベルリンの壁のようにプロテスタントとカソリックを隔てたもので、プロテスタントはあくまで自分達は「英国人」だと主張。一方、カソリック系住民はここはアイルランドの土地なのだから、共和国に戻すべきと訴える。双方の意識の違いが悲劇を引き起こしている。

壁絵の中には80年代ボビー・サンズなどハンガー・ストライキで命を落したIRAの闘士の壁絵が誇らしげにその姿を見せている。これもやはりカソリック地区ならではだろう。街のあちこちに共和国やIRAの旗が掲げられ、彼らはやはり統一を願ってやまないのだと思い知らされ、胸が痛んだ。IRAの政治組織シン・フェイン党の本部の前も通ったが、さすがにその前では降ろしてくれなかったが、何やら党の記念グッズまで売っていたようだ。

翌日、私はフライトでベルファストからマンチェスターに向かった。通常X線の検査を受けるのは搭乗する人物だけだが、ここでは空港に入る前から厳重な手荷物検査があったので驚いてしまった。やはりテロを警戒してのことだろう。しかし、空港には同胞であるカソリックも他の国の人間も大勢いる。彼らを巻き添えにしでもすれば、誰もIRAを支持しないだろう。U2は無関係な者の命まで奪ってしまうテロをあからさまに非難し、一時暗殺リストのトップに載っていたことがある。

(erinさん・2000/8/18)