スコットランド激走1,000マイル
All hail, Macbeth!: コーダー城と庭園
「マクベス万歳、コーダーの領主万歳!」
All hail, Macbeth! hail to thee,
Thane of Cawdor! 子供の頃に親しんだラムの『シェイクスピア物語』以来、「コーダー」という響きはいつか訪れてみたい場所として心の中で暖められてきた。 緑の芝生が眩しいと思ったら、隣はゴルフ場になっているようだ。 跳ね橋を渡ると、そこには中世の面影をとどめた古めかしい佇まいの入口を抜けると、豪華なタペストリーや調度品が飾られた部屋が。 |
シェイクスピアの『マクベス』には、歴史上にモデルがいる。マクベス(在位1040-1057)は先王ダンカン一世(在位1034-1040)のいとこにあたり、ダンカンを殺害して王位についた。シェイクスピアの戯曲と史実が違っているのは、ダンカンはマクベスの居城で暗殺されたのではなく戦場で命を落としたということ。 そして政治的にも決して無能ではなく、その17年にわたる統治期間はきわめて安定していたということ。 彼は1057年に戦死し、アイオナ島に埋葬された。
コーダー城の原型が建てられたのは14世紀なので、実際にマクベスの居城となっていたわけではないのだが、歴史的ロマンをかきたてられることにはかわりがない。 この地から約一マイル離れたところに小さな城を構えていた当時の領主が 「夜ロバが休むところに城を建てよ」と夢のお告げに従って、ロバがその下で休んだ木を囲んで建造したものということで、The Thorn Tree Roomという部屋には、その時ロバが運んだ木が飾られている。 この木は長年サンザシ(hawthorn)と言い伝えられてきたが、最近になって科学的に分析した結果、ヒイラギ(holly)と判明したという。 サンザシ(howthorn、またはthorn tree)はキリストが磔刑のときに冠としてかぶせられていた茨のような植物だが、ヒイラギ(holly)はケルト民族の聖なる木。 キリスト教ではなく、異教的ケルト文化の片鱗が感じられるというところも、いかにもスコットランド的ではないか。 現在の領主は、第7代コーダー伯爵。 観光客を入れないオフシーズンにはこの伯爵一家が暮らしている。
この古城を有名にしているのは、優美な庭園の存在。 Maze(生垣で作られた迷路)、ハーベイシャス・ボーダー、シャクヤクのボーダー、ラヴェンダーなどのハーブ・ガーデン、ローズ・ガーデン、ワイルド・フラワー・ガーデン・・・と、ハイランドで最も美しいといわれる庭園が城の裏手に広がっている。 ところどころに置かれたベンチでゆっくりするのもいいだろう。 | |
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つわものどもが夢のあと: Culloden Moor Battlefield
コーダー城から裏道をインヴァネス方面に向かう途中に、ひっそりと広がる古戦場跡がある・・・カローデン・ムーア。 常にスコットランドやハイランダーたちの悲劇とともに語られる場所。 |
1746年4月、ボニー・プリンス・チャーリーことチャールズ・エドワード(チャールズ二世の孫)率いるハイランダーたちのジャコバイト派反乱軍は、イングランド政府軍に追い詰められ、ここカローデンの地で壮絶な戦いを繰り広げた。 政府軍を率いていたのはプリンス・チャーリーのいとこ、カンバーランド公(国王ジョージ二世の息子)。 この戦いでジャコバイト派は壊滅し、スコットランドにイングランドの強力な支配が及ぶようになる。 徹底した関係者の処刑、ハイランダー狩り、タータン着用の禁止、ゲール語の禁止・・・敗戦の将、ボニー・プリンス・チャーリーはマクドナルド族のフローラ姫の助けを借り、ヘブリディーズ諸島からスカイ島へと5ヶ月に及ぶ逃避行の後、フランスに戻った。 |
現在の古戦場跡はうっそうとした潅木が茂り、イングランド軍とジャコバイト軍の陣地を示す旗が物悲しく翻っている。 ムーアの中にはなぜかところどころに迷い羊もおり、入口には戦没者慰霊碑も。 傍目には何てことはない荒地なのだが、自分が今踏みしめている足元で歴史的な戦いが、何千人もの兵士たちが血みどろの死闘を繰り広げていたかと思いを馳せると、感慨深い。
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